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zoom RSS 移民が語る歴史 --- マース博士の家系図

<<   作成日時 : 2012/03/26 02:06   >>

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1970年代後半、アメリカでルーツ探しブームが起きました。今では、先祖の出身地の資料を調べて公表するサイトが多数あります。調査が丁寧なサイトはこれからルーツ探しをする人の手がかかりになるだけでなく、移民前の歴史も語ります。

農学博士のユージーン・マースさん----Maass と綴ります。
先祖が低地ドイツ語の話者なので「マース」と読むと思います。
ご先祖の Pagel Maass の Pagel は低地ドイツ語のPaul だそうです。
http://www.genemaas.net/

マース博士は1930年代後半生まれ。父方の祖父母は現在はポーランド領のポメラニア東部の出身。母方はロシア南部(現在のウクライナ)のドイツ人入植者です。先祖は農民で、19世紀以降は職人や工場労働者もいます。

母方は17世紀半ばまで遡れます。ドイツ南西部で、何世代も暮らした農民です。バーデン=ヴュルテンベルク州、有名な町はシュツットガルトやバーデンバーデン。19世紀末、ロシア領内(当時)のドイツ人入植地に移住。1880年代から20世紀初頭にかけて、アメリカに移民しました。

父方の祖父母は1892年、ドイツ帝国領時代のポンメルン州ナウガルト(現在はポーランド領ノヴォガルド)からアメリカに移民。祖母の旧姓はLieck、スラヴ系の姓です。

父方の先祖の最も古い記録は1781年。クリスティアン・マースの誕生(受洗?)と両親の名前です。出生地はバルト海沿岸の小さな村。当時はプロイセン領だった港町コルペルク(現在はコウォブジェグ)の東です。

その息子は数十キロ東のレーゲンヴァルド郡に引っ越して、工場労働者に。レーゲンヴァルド、英語にするとレインフォレスト。今でも森林が茂っています。この地域で工場労働者というと、製材所でしょうか。その息子が町に出て、仕立屋になる。まさに近代です。

マース姓の最も古い記録は1573年です。教会や役所の記録で辿れなかったので、「おそらく親戚」という推測にとどめています。
http://www.genemaas.net/Lassehne.htm

1781年生まれのクリスティアン・マースの両親の記録は名前のみです。生年が不明なので、入植者とも考えられます。ポンメルンは人口が激減して、18世紀半ば、プロイセンはドイツ人の再入植を推進しました。

(人口激減の背景は戦争とペストです。三十年戦争の被害が甚大で、大北方戦争に巻き込まれ、プロイセン、スウェーデン、デンマークが争い、七年戦争ではロシアが侵攻。また、17世紀後半と18世紀初頭にペストが流行)

クリスティアンの妻は、すぐ近くのヴェンドハーゲン(現在はヴィエニトヴォ)の生まれ。他のルーツ探しサイトでも、ヴェンドハーゲンやヴェンデンハーゲンという集落が出てきます。ヴェンド=スラヴ、ヴェンデン=スラヴの、スラヴ人の、という意味です。

住み分けはなかったようです。他のルーツ探しサイトでもヴェンド〜、ヴェンデン〜という地名でない町でも、〜ck、〜ke、〜lin、〜witzなどはスラヴ系の姓の記録を見かけます。

マース博士は、先祖の地の領主は1678年まで von Kameke Cratzig というスラヴ人の貴族だったと述べています。〜tig、〜zigという姓を含めると、19世紀の記録にはスラヴ系の姓が目立ちます。

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