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zoom RSS 不都合なドイツ語

<<   作成日時 : 2012/02/05 22:31   >>

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標準ドイツ語をしっかり学んだ人は「ドイツ語とポーランド語は、まったく違う言語」と言いますね。低地ドイツ語のアフリカーンス語が最初だった私には「不思議な共通点と違いの両方がある」です。

「ありがとう」は、

ポーランド語: dziekuje(ジェンクィェ)
アフリカーンス語: dankie(ダンキ)
オランダ語:dank you
ドイツ語:danke schoen

ポーランド語は、私にはスラヴ語バージョンのような感じです。この言語感覚は、おそらくアフリカーンス語が間に挟まっている。

低地ドイツ語は、大きく分けて3つあります。

低地フランク語:オランダ語(ベルギーではフラマン語)、アフリカーンス語など
低ザクセン語:ドイツ北部
東低地ドイツ語;ドイツ北東部(〜ポーランド、東プロイセン)

前回、低ザクセン語を「赤の低地ドイツ語」と書いたのは、ハンザ同盟の旗が由来です。低地ドイツ語の研究がタブー視されていた1980年代、言語の復興運動が起きました。

独自の地域言語として認められ、1994年、ハンブルク、ブレーメン、シュレスヴィヒ=ホルシュタイン州、ニーダーザクセン州で公用語になりました。ブランデンブルク州は南部が東中部方言(高地ドイツ語)なので、公用語ではないです。

黒の低地ドイツ語(東低地ドイツ語)はプロイセンの旗だけでなく、ドイツ騎士団のクロスパティ由来の黒十字の黒です。旧プロイセン領の地域が大半です。二度の世界大戦で失った旧東部ドイツ領が多い。

旧東ドイツ北部のメクレンブルク=フォアポンメルン州は、東低地ドイツ語が話されている地域です。「ポンメルン」はポモージェのドイツ語読みです。ポーランド語ではポモージェ。

pomorze
po(for または to)sea

現代ポーランド語でも、po は同じ意味で、海は morze
海に向かう、海に面する地方という意味で、日本語なら「向海」です。

フォアポンメルンを英語にすると、for for sea ですか?
forward to the sea は変ではないから、そうしておきますか。

この州にはハンザ同盟の中心都市だったロストクがあります。Rostockと綴ります。ドイツ語的な綴りではないし、ロシアの地名でも違和感ない。古いスラヴの言葉で「だんだん広くなる川」が語源です。

川はヴァルノウ川です。Warnow、スラヴの言葉を無理矢理ドイツ語にしたような綴りです。中世には、スラヴ部族のヴァルノウ人が住んでいました。

州都のシュヴェリーンには、10世紀にスラヴ人が建てた城がもとのシュヴェリーン城があります。

沿岸部は、東西ドイツ統一後に観光地になりました。ハンザ同盟の中心都市で、中世の街並みが残るロストク。世界遺産に指定されているシュトラーズラントとヴィスマール。湖沼地帯と水城のシュヴェリーン城。海のリゾート、リューゲン島。

スウェーデン領だった時代がある地域にはヤスムント、ヒデンゼーなど北欧的な地名も残っています。地名だけでエキゾチックな香りが漂って、行ってみたい気持ちになる。

メクレンブルク=フォアポンメルン州の東は、ポーランドです。ドイツとの国境に近い西ポモージェ県の県都はシュチェチン。プロイセン領・ドイツ領だった時代が長いです

ドイツ語:Stettin(シュテッティン)
ポーランド語:Szczecin(シュチェチン)

ポーランド語的な読み・綴りに変わっただけです。
「シュ」に近い発音は、ポーランド語では sz です。

ポーランド国内にはグダニスク(ドイツ語読み:ダンツィヒ)のように、ポーランド語読みとドイツ語読みがまったく違う地名もありますが、あまり変わらない地名も多いです。

ドイツの地名をポーランド語で表記すると、

ドレスデン→Dreznie
ベルリン→Berlinsk

こうした変化も多い。子音で終わる s をポーランド語で発音するには s か z です。

ポーランド語:Poznan(y)ポズナン またはポズナニ 
ドイツ語:Pozen(ポーゼン) 

ポーランド王国の最初の首都です。語源はポーランド語の znac(知る)
「誰でも知っている」「有名」という意味です。

シレジアは高地ドイツ語の地域ですが、複雑な歴史が辿れます。ポーランド語アルファベットが入力できないので、一部片仮名にします。多少省いても伝わる綴りと、まったく伝わらなくなる綴りがあるのです。

ポーランド語:シロンスク、カトヴェツェ、レグニツァ、ヴロツワフ
ドイツ語:シュレジェン、カトヴィッツ、リーグニッツ、ブレスラウ

トルンは片仮名だと同じですが、綴りは違います。

ドイツ語:Thorun
ポーランド語:Torun

スラヴの言葉は、thをあまり使いません。というか、見たことない。
トルンはドイツ騎士団が建設した町です。語源はポーランド語の道、流れ(ヴィソワ川沿いです)という説と北欧神話のトール神という説、両方あります。

ドイツ騎士団領の最南端でした。ドイツ系商工民が移住して、ハンザ同盟に加盟、中世にはかなり繁栄しました。コペルニクスが生まれた町です。歴史ではトルンの和約が有名ですね。

ドイツ系商工民はドイツ騎士団が嫌いで、ポーランド王のもとで自治権を得ようとしました。1410年、ドイツ騎士団とポーランド・リトアニア連合が戦い、ドイツ騎士団が敗北。タンネンベルクの戦いです。その時の平和条約が第一次トルンの和約です。

むちゃくちゃ強かったドイツ騎士団が負けて、「でも奴等しぶといから」とドイツ系商工民や地主はプロイセン連合を結成。当時の「プロイセン」はあくまで地名です。プロイセン連合は「ドイツ騎士団は出て行け連合」です。

トルンやダンツィヒだけでなく、東プロイセンの都市も加わり、ドイツ騎士団からの独立を求めました。中世ヨーロッパの庶民は「領主が外国人でも、善政であれば良し」です。同国人や同じ言葉を話す同じ民族でも、圧政なら反乱を起こした。

十三年戦争の結果、プロイセン連合はドイツ騎士団領からポーランド王領プロイセンに。ドイツ騎士団の本拠地だったマリエンブルクは、マルボルクと変わりました。

ドイツ語:Marienburg
ポーランド語:Malbork

マリエンは聖母マリアから。ポーランド語では、Marija か Maria と綴ります。
RからLに変わったので、聖母マリアの名を外した。
burg(ブルク)→bork(ボルク)は読み・綴りの変化です。

mal というポーランド語の単語は見つかりませんでした。
母音を一つ削るなら、male(若い)、malo(小さい)が近い。現代ポーランド語だけでは無理ですが、何だか「ドイツ騎士団に聖母マリアを奉じる資格はない」と言わんばかりの変更です。

約320年後、ポーランド分割でプロイセン領になり、マリエンブルクに戻る。第二次大戦後、ポーランド領になってマルボルクに。

他はポーランド語的な発音・綴りに変わっただけの地名が多いです。クロイツ、シュタールガルトなどドイツ語らしい地名は、社会主義時代も変わっていません。

ポーランドから東は、ドイツ語の名残がガクンと減ります。ラトビアのリガはドイツ語のままですが、他には確定できませんでした。ベラルーシのブレストは、ドイツのニーダーザクセン州に同じ地名があるので、ドイツ語だと思います。

ドイツ東部にはスラヴ語由来の地名、ポーランドにはドイツ語の名残を残す地名。国境付近に隣国の言葉が語源の地名があるのは、他国でも珍しくない。ただ、ドイツとポーランドは範囲が広い。

エルベ川〜オーデル川やナイセ川〜ヴィソワ川〜カリーニングラードの手前やベラルーシのブレストまで、少めの見積もりで40万平方キロ。1100年代から深く関わり、分離不可能なのだと思います。

この広大な地域は、ポーランド分割後のプロイセンがほぼ収まります。地理と歴史を辿ると「プロイセンは、実はドイツ的・ゲルマン的ではなかった」という結論になります。

ポーランド分割後は、ポーランド人やユダヤ人が大勢住む国に変わりました。ポーランドはユダヤ人に寛容な政策を取ったから、移住していた。ポーランド・リトアニア共和国領内のユダヤ人は10〜12%。スラヴ系の少数民族、バルト系、フランス人(ナントの勅令廃止後に移住したユグノー)、オランダ人(メノナイトの移住あり)も暮らしていました。

プロイセンの実体は多民族国家です。ポーランド分割後はポーランド語の学校をつくったり、行政でも一部ポーランド語を使ったり、国教がないから、宗教弾圧もなかった。ロシアに分割された地域の激しい宗教弾圧とは対照的です。

ナポレオン戦争から、少しずつ様変わりします。神聖ローマ帝国が解体して、ドイツ連邦が成立しますね。ドイツ統一をめぐって、オーストリアと対立したプロイセンは小ドイツ主義を掲げます。

ドイツ統一で避けるべきは、プロテスタントとカトリックの対立でした。古代的・中世的で、民族意識を高められるシンボルが必要だった。

当時、盛んになっていたのがドイツ学です。ドイツ語で「ゲルマニステン」と言います。プロイセンはゲルマニステンに力を入れた。有名なのはグリム兄弟です。ライン地方の出身で、言語学者でもあります。プロイセン政府は、二人を研究者としてベルリンに招きました。

プロイセンは「ゲルマン神話の衣をまとった国家」になっていく。ドイツ統一がバイエルン主導だったら「ドイツ的であること」は自然体です。わざわざゲルマン的であろうとする必要ないです。

問題は言語です。聖書がドイツ語に訳された時、高地ドイツ語でした。それ以来、標準ドイツ語は高地ドイツ語です。低地ドイツ語には、第二次子音推移がない。書き言葉はずいぶん統一されたけど、発音は今でもかなり違うそうです。

プロイセンは低地ドイツ語の地域が多い。ベルリンやブランデンブルク州南部は高地ドイツ語ですが、今とは領土が違いますね。二度の大戦で失った旧ドイツ東部領土の大半は旧プロイセン領です。シレジアなど一部を除いて、低地ドイツ語が多数派です。

どう考えても、プロイセンによるドイツ統一に影響する。統一後も不都合です。だから、低地ドイツ語の研究がタブー視されたと思います。

オランダ語やアフリカーンス語は「今後はドイツ語ではなく、新カテゴリーの北西ゲルマン語派です」になっても支障は生じません。話者はドイツ語と思っていないのです。

ドイツは民族国家としてのアイデンティティが揺らぐ不安があったのではないでしょうか。ドイツ国旗の黒はプロイセンの国旗が由来です。この黒は様々な色が混ざっているけど、ゲルマン神話は純粋な黒だと主張する。

国家的なゲルマン神話は、第二次世界大戦の敗戦で終わります。旧東部ドイツ領土から約1200万人のドイツ系住民(民間人)が追放されました。東低地ドイツ語の話者が大勢いましたが、混乱の中、散り散りに移り住みました。

東西に分断された時代は、同じドイツ語を使う同じ民族でなければならなかった。ゲルマン神話の時代と違い、切実な願いです。

時代ごとに背景は違いますが、低地ドイツ語はドイツでは長年「不都合なドイツ語」でした。

最近は「第二次子音推移がない低地ドイツ語は、ドイツ語とは別の言語」という見方もあります。赤の低地ドイツ語(低ザクセン語)が一部の州や市で公用語になったのは「独自の言語」として認められたからです。

復興運動が始まった旧西ドイツ北部には、ドイツ語より英語に近いフリジア語の話者がいます。低ザクセン語が公用語になったニーダーザクセン州とシュレスヴィヒ=ホルシュタイン州では、フリジア語も公用語です。

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