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zoom RSS 移民が語る歴史 -- プロイセンはドイツに併合された!

<<   作成日時 : 2012/03/29 07:27   >>

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ドイツは何気に移民大国です。18世紀初頭までは宗教的理由、あるいは経済的理由。とくに三十年戦争の影響は大きい。19世紀になると、ルター派の移民が出てきます。

プロイセンは宗教に寛容だった国と言われますが、19世紀前半に一変しました。1817年、国王フリードリヒ・ヴィルヘルム3世はルター派とカルヴァン派を合同し、自ら書いた礼拝文を交付して、プロイセン福音主義教会を設立。典礼はカトリック的だそうです。

プロイセンはルター派が主流で、王家はカルヴァン派でしたね。妃が相続人になっていたラインラントの領地の相続を有利にするため、1618年、カルヴァン派に改宗。臣下の貴族や領民には改宗を強制しなかった。ナントの勅令廃止後は、フランスのユグノーを受け入れています。

19世紀初頭、ルター派の儀礼はシンプルになっていたそうです。ルター派住民の一部は反発して、北米やに移民。他国では、昔ながらのルター派は正統派のプロテスタントですから。

ナポレオン戦争後の反動主義の時代とはいえ、覚醒運動やエキュメニズム(超教派)を経験せず、“上からの宗教改革”は異質です。

宗教に寛容だったのは1817年まで。ポーランド分割の結果、ポーランド語の話者も住民になったわけですが、教会ではドイツ語以外の言語を禁止して、事実上の宗教弾圧を行なった時期もあります。

■斜め上でも注目すべき箇所はある
ポメラニア地方東部(現在はポーランド領)で1932年以前に生まれたドイツ系移民1世のサイトがあります。プロイセン自由州はドイツに不当に併合されたから、ドイツではない、プロイセンの県だと主張するシュナイダー氏のサイトです。
http://pommern1.com/oldaolsite/family.htm

1932年の政変で地方自治に踏み込みすぎて、国際連盟から監査官が来たのは事実です。ただ、住民の反対はどの程度だったのでしょうか。

1930年頃まで、ナチス支持者は他の地域より少なめでした。ところが、1933年の総選挙で一転。ナチスは50%近い票を獲得しています。一部では50%超え。短期間で急増した地域です。

斜め上の主張ですが、非常に興味深いです。偏った記述は個人の主観の現れだから、読む価値がある。
http://pommern1.com/oldaolsite/introdemise.html#A

Except serving in the miltary, the Nazis did let us live in peace.

面白い。この手合はいろいろやってくれるのです。自分たちの言葉はドイツ人に通じない、と書いてあります。ポンメルン方言ですよね。低地ドイツ語の話者が多いハンブルクやリューベクでも通じない? 

言語ファンとしては、ポンメルン方言を読みたい、聞きたい。東プロイセン方言に比べると、サンプルが少なすぎる。語尾の省略が見られるそうです。入植者の多くはあまり教育を受けていなかったから、語尾の省略・文法の簡略化などクレオール化が起きやすい。

クレオール言語、私は大好きです。言語や文化が失われた、失われつつあると主張するなら、ネットで公開すればいいと思いますね。

言語は世代が下ると失われやすいけど、料理は残ります。ポンメルン料理を紹介してほしいですよ。シュナイダー氏は、母親はレバ湖の近くの小さくて貧しい村の生まれだと述べています。淡水魚の料理とかない?

(ちなみに、ポーランド語読みはウェバ、カシューブ語読みはドイツ語と同じレバ。スラヴ系少数民族カシューブ人も住んでいた地域で、1930年代後半、ドイツの軍事企業ラインメタル社の実験施設が作られた)

シュナイダー氏は高齢だからなのか、論調が無茶苦茶です。わずか12年、ドイツに違法に併合されたために故郷、財産、文化を失ったとか。
http://pommern1.com/oldaolsite/introdemise.html#B

URLにoldとありますね。トップページはこちら。表向きはナチスに責任をなすりつけ、その実は…です。
http://pommern1.com/

第二次世界大戦後に追放・脱出したドイツ人の連盟、BdV(ドイツ追放者同盟)の加入者もこんな感じかな、と思ったりする。政治的なことを言うのは大好きで、言語や文化には関心が薄い。

DISCALIMER のページの写真は、シュナイダー氏の母親の生地近くの沿岸部です。1945年1月、東プロイセンやダンツィヒの避難民や傷病兵を乗せたヴィルヘルム・グストロフ号がソ連の潜水艦に撃沈されたのは事実。
でも、Only few miles?(原文ママ)物理的に無理だと思う。
http://pommern1.com/oldaolsite/disclaim.htm

調べました。沖合30キロです。ヴィルヘルム・グストロフ号事件は「追放される前に逃げ出した人が大勢いた」を象徴する事件です。非人道的だと個人的には思っているのですが。

物理的に無理なことをねつ造すると、他の部分も説得力を失う。まあ、シュナイダー氏は高齢なので…。この痛さも収穫ってことにします。

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