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zoom RSS 琥珀の地の人々

<<   作成日時 : 2012/02/18 07:28   >>

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前回の『琥珀の戦い』はバルト海沿岸の琥珀の産地をめぐり、各国が争ってきた歴史をざっとなぞりました。要するに、支配者の歴史です。その地に住んでいた人々と子孫はどんな歴史を辿ったのか。これが今回のテーマです。

ゲルマン民族の大移動のあと、スラヴ人が定住しました。

・オボトリト人
ドイツ北東部。ユトランド半島南部まで進出した。13〜15世紀頃、言語が途絶える。「ドイツ化」して、子孫はドイツ人あるいは移民。

・ラーン人
ドイツ北東部のフォアポルメルン=メクレンブルク州。リューゲン島にも定住。15世紀に言語が途絶えた。「ドイツ化」して、子孫はドイツ人あるいは移民。

・ポラーブ人(西スラヴ語群レヒト諸語?)
ドイツ東部。「ポラーブ」は po-labe、labe はエルベ川のこと。「エルベ川沿い」の意味だそうです。18世紀半ば、ポラーブ語の最後の話者が死亡。子孫は「ドイツ化」して、ドイツ人あるいは移民。

・スロヴィンツ人(西スラヴ語群レヒト諸語)
ポーランド北部〜ドイツ北東部。スロヴィンツ語は1920年代までに話者が減り、1950年代には高齢者のみ。現在は死語。1940年代半ばには大半がドイツ語の話者で、ポーランド領になった地域からは旧西ドイツに移住。低地ドイツ語ポンメルン方言とは相互に影響を受けているらしい。

・カシューブ人(西スラヴ語群レヒト諸語)
ポーランド北部。オーデル川〜ヴィソワ川。カトリックが大半。19世紀半ば、民族運動が始まった。19世紀末のカシューブ語の話者は10万〜12万人。現在は5万3000人。ポーランド語に近い言語。移民先は北米、とくにカナダ。

・プルーセン人(バルト)
現在はポーランド北東部とロシア領カリーニングラード。かつての東プロイセン。ヴィソワ川より東。言語は17〜18世紀に途絶えたが、再建された。

ドイツとポーランドは移民が多いですね。移民先が把握できたのは、この中ではカシューブ人だけです。「ドイツ化」したあとの移民は「ドイツから移民したドイツ語話者」だから、わからなくなります。

英語wiki で英語、ポーランド語、カシューブ語、ポラーブ語、高地ソルブ語が比較できます。『主の祈り』です。
http://en.wikipedia.org/wiki/Polabian_language

ソルブ語はドイツ東部のスラヴ系少数民族の言語です。大まかには、低地ソルブ語はブランデンブルク州、高地ソルブ語はザクセン州。ザクセン州では公用語です。19世紀の言語分布図で「ラウジッツ」の場所です。内陸部です。

ポラーブ語のウムラートやエスツェットは「ドイツ語の影響を受けた」「ドイツ語的な表記」で説明がつく範囲です。ただ、語順や語彙がポーランド語やカシューブ語と違う。高地ソルブ語とも違う。ドイツ人が作成したそうです。

ポラーブ語が話されていた地域はドイツ東部一帯です。オボリト人やラーン人が住んでいた範囲はあまり広くないから、「部族」に近い人口や社会構成だったかもしれない。ドイツ化する過程で、ポラーブ語が形成されたことも考えられる。

ドイツ語 wiki では、語彙一つ一つはスラヴの言語に近いです。ポラーブ語は方言があります。drawanopolabisch はニーダーザクセン州の北東部で話されていたポラーブ語です。
http://de.wikipedia.org/wiki/Polabische_Sprache

ニーダーザクセン州は低地ドイツ語の低ザクセン語やフリジア語が話されている地域です。低地ドイツ語も一緒に比較しないと…。ドイツの言語学は未だにいろいろあるようだし、wiki の記述を信用するのは危うい。

でも、何もないよりいい。中世の言語は、今ほど分化していません。レヒト諸語とか考えず、「スラヴ祖語に近い言葉がドイツ語に囲まれて発達した」と見るほうがいいと思います。

ポラーブ語はドイツ語のようにウムラウトを使い、ポーランド語のようにオゴネクを使い、チェコ語やスロヴァキア語のようにハーチェクを使う。この3つの併用は珍しいと思います。

さて、ドイツにはスラヴ系の姓があります。
〜ow、〜-wy、〜witz はスラヴの姓をドイツ語的にしたものだそうです。

フィギュア・スケートのロビン・ゾルコビー選手(ペア)は「東欧系アメリカ人のような名前」と思ったけど、フォアポンメルン=メクレンブルク州出身のドイツ人。バンクーバー五輪の銅メダリストです。母親は「歴史が古いスラヴ系ドイツ人」です。

スロヴィンツ人はルター派が多いそうです。20世紀前半、ルター派でドイツ語を話すスロヴィンツ人の帰属意識はドイツだったかもしれない。だから、旧西ドイツに移住しとも考えられる。「歴史の浅いスラヴ系ドイツ人」です。

ドイツは東に行くほど、スラヴと歴史的な縁が深いです。ドイツ東部はスラヴの言葉が起源の地名がたくさんありますし。プロイセン発祥の地、東プロイセンは東のまた東ですね。今は北半分がロシア領…。

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