今日は店じまいしました

アクセスカウンタ

zoom RSS 明治の新素材

<<   作成日時 : 2011/08/14 05:03   >>

面白い ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 0

今回もヘタリア本編です。日本がフランスの真似をするエピソードですが、女の子の着物に注目してみます。袴がはっきり見えますね。女袴です。

平安時代は一定の階級以上の女性は袴を着ましたが、鎌倉時代から廃れました。例外は皇族と公家です。袴は、明治時代に復活します。

学校は立つ・歩く・椅子に座る。歩いたり、椅子に座ると、着物の裾が乱れやすい。明治初期は男性と同じ袴でしたが、問題になります。

そこで発案されたのが女袴。巻きスカート式で、着物の上から巻いて着付けます。裾の乱れを隠せるし、トイレも楽です。着物と一緒に引き上げれば、用を足せます。

色は海老茶色がいちばん多く、その次が紫。華族女学校は海老茶色で、生地はカシミアです。紫は跡見女学校が始めました。跡見学校の開校は1875(明治8)年なので、女袴は跡見女学校のほうが早いようです。



濃い色の袴は、着物の汚れよけにもなります。外出すると膝から下が汚れやすいですね。矢絣の着物と組み合せるのは定番でした。最初の場面の手前の女の子が着ている縞模様も定番で、袴は海老茶。もう一人が無地の着物に紫の袴。この着物が無地モスリンなら、まさに明治です。

モスリンは羊毛の織物です。幕末に日本に入りました。暖かく、しわになりにくいので、明治に入ると日本でも生産が始まります。凝ったモスリン友禅もありますが、無地や地味な柄、羽織、襦袢、帯も多く作られています。

モスリンは発色も良いのです。温かい、しわになりにくい、発色が良い…今で言えば、フリースですね。

技術の発達で生まれたのが銘仙です。こちらは絹です。明治初期、屑糸や節のある糸の撚糸の技術が進みます。絹といっても安く、それまで綿の着物しか着られなかった庶民の女性でも、絹の着物を着られるようになりました。

明治末、力動機の導入が始まります。大正時代から化学染料が使われるようになり、鮮やかな色柄の銘仙が大量に生産されます。大量生産だから安く、平均で年間約1千万反も売れました。

安さだけが理由ではないです。銘仙は丈夫です。何より、おしゃれがしたかった。季節の柄の着物は、着られる期間が短いですね。何枚も持てたのは富裕層、花柳界、高級遊女と極端でした。安い銘仙は、この壁を切り崩します。

明治から大正にかけて、着物の生地や色柄は豊富になりました。モスリンは寒さを乗り切る新素材でした。銘仙は「女性のおしゃれの身分の差」を崩した革命児です。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ
気持玉数 : 1
面白い

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
明治の新素材 今日は店じまいしました/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる